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【中国の偉人】世界にも影響を与えた歴史上の人物10選!

中国は5000年の歴史と言われいる、長寿大国です。どの歴史の中でも権力者の存在によって国家の明暗が左右されるのは時代や国を問わずに当たり前ですよね!

中国の歴史は人類の歴史とも言われることもあり、中国が行ったことが世界基準になることもしばしばあります。そんな中国だけではなく世界をも変えてきた偉人をご紹介していきます!(少し大げさかもしれません)

孔子 (こうし)

出典 https://www.leyijc.com/d/李正彦琦哪年出生的/

中国の有名な偉人として真っ先に名前が挙げられるほど有名な孔子は、紀元前500年の春秋時代で活躍した思想家です。今ではキリスト、釈迦、マホメットと並んで『四聖人』と呼ばれる、神に近い存在です。

儒教の創始者として、弟子たちに自分の思想を教えていました。その当時の弟子は3000人以上もおり、孔子が死んだ後も弟子たちが儒教を全世界に唱え、世界の宗教や思想として定着しています。

孔子で1番有名なのが『論語』ですよね!論語は孔子の思想を学んだ弟子たちが、孔子の言動や行動を記録したもので、キリスト教の聖書のような人間行動について説いています。

李白 (りはく)

出典 http://www.jf258.com/

中国の詩人として有名な李白は、日本の国語の教科書でもお馴染みの存在ですよね。700年に生まれた李白は、最初から有名な詩人として活躍していたわけではなく、浮浪者として転々として荒くれ者だったと言われています。

長安にたどり着いた時に、皇帝の詩人グループに加わりました。文才に富んでいたと言われる李白ですが、自由奔放すぎる詩文を皇帝内で詠み、職を失いました。

その後に有名な詩人である杜甫と出会い、一緒に旅をして、詩を詠み合いました。当時では評価されなかった李白ですが、今となっては『幻想的で、繊細かつ自由奔放』な表現の仕方が有名となり『詩仙』と言われるようになりました。

秦の始皇帝

出典 http://www.hahacn.com/detail/46265.html

中国の戦国時代を生き抜いた秦の31代王です。紀元前221年に中国史上初めての国の統一した人物であり、新しい称号である『皇帝』を名乗りました。

今でも中国の歴史上偉大な人物として崇められるのは、中国を統一しただけではなく、『万里の長城』『兵馬俑』『秦始皇帝陵』などを建設を命じ、現代に残る大事業を成功させてきました。

国を統治すると、政治や行政にも腕を振るい、『貨幣』『計量単位』『交通法』の制定を初めて行いました。また国を非難する思想には弾圧を加えました(中国の言論制限はここから始まったのかも)。

武帝 (ぶてい)

武帝は、中国の歴史上最も栄光満ち溢れていた時代とされる漢の時代を統治していた皇帝です。外交や遠征など派手な事業を好んで行い、豪腕をふるって政治を進めていました。

地道なことが嫌いなようで、民衆の反感を買うこともしばしばあり、『大事業で民衆を疲弊させた君主』として秦の始皇帝と並ぶこともあります。

しかし武帝は、中国や日本で使われるようになった太初歴を発明しました。月の満ち欠けによって日付を計算する者で、うるう年やうるう月がこの当時から発見されていたと言われています。

太宗 (たいそう)

出典 http://h.sos110.com/html/173/156487.html

唐の時代の第2代皇帝であった太宗は、隋の時代の混乱を収め、天下統一を果たし、長安を首都とする唐王朝の創設者となりました。騎兵戦術に長けているだけではなく、文学にも精通しており、中国史上有数の名君とされています。

優れた政治力を振るい、優秀な人材を登用したり制度を見直し、唐王朝の基盤を強固なものにしました。そして平和な時代を築きあげました。

唐王朝時代の脅威であった、北方異民族からの攻撃にも立ち向かいました。攻撃は最大の防御ということで、侵攻を進め北方異民族を撃破し、太平の世を取り戻しました。

康熙帝 (こうきてい)

出典 http://jiankang.xkyn.com/baike-cggdteggdtbrffdcgdg.htm

清時代の第4代皇帝として、唐の太宗と並んで『中国歴代最高の名君』と称されています。中国に西洋文化を取り入れた最初の人物とされており『西洋人は暦法を助け、軍事面でも大砲を作った』と文化の共有を認めていました。キリスト教が中国に布教活動を行うときも、快く承認しました。

政治の面でも、自ら倹約に努め、庶民的な暮らしを送っていました。1日分の明時代の費用であった経費を、一年分の宮廷費用としたり、大幅なコストカットを行いました。そのため農民が治める税金が減り、民衆から愛されるだけではなく、国家としての発展を遂げました。

民衆を1番に考えた康熙帝の政治スタイルは、代々受け継がれ、子供達にも労働や食事制限を設けるなど、農民に寄り添った一族として有名です。

忽必烈 (クビライ)

出典 https://m.takefoto.cn/viewnews-189527.html

1200年代の元王朝の初代皇帝であり、モンゴル帝国の創始者であるチンギス・カンの孫にあたる人物です。モンゴル帝国で起きていた南北分裂を鎮圧させ統一し、皇帝に即位しました。その後にモンゴルから北京に王朝を移し、東アジアを支配するほどの大帝国に成長しました。

異例でもあったムスリム教徒を王朝の重役に抜擢し、専売や商業税を充実させました。また運河を整備し、中国の南部や貿易でもたらされる富が大都市に集積されるシステム開発を行いました。王朝として発展させるために国内だけではなく、貿易によって他地域からお金を稼ぐ方法を考えた貿易の元祖と言われています。

孫文 (そんぶん)

出典 https://www.sohu.com/a/81578243_260616

台湾の『国家の父』と呼ばれる人物であり、『中国革命の父』として中国国内でも称されています。孫文は台湾の政治家であり臨時大統領で、今でも台湾の紙幣の肖像画に採用されています。

孫文はイギリスの植民地であった香港で医学を学んでいましたが、それと同時に革命思想を抱くようになりました。その後はポルトガル植民地であったマカオで医師として開業しました。

政治問題が浮き彫りになっていた中国の政治に革命を起こそうと企てていましたが、密告により頓挫し、日本に亡命してきました。その後にアメリカやイギリスに渡り、資金と革命仲間を集めました。満州民族によって支配されていた漢民族の孫文は『独立』を掲げ、仲間とともに南京に中華民国を設立しました。

今となっては台湾が中華民国と呼ばれるようになりましたが、元祖は南京で孫文が設立した政府が元となっています。

毛沢東 (もうたくとう)

出典 https://www.sohu.com/a/326127113_120206954

中国の巨大政党として君臨している、中国共産党の創立党員の1人です。日中戦争や長征を勝ち抜き、党内の指導権を握りました。日中戦争後の内戦では中華民国を率いていた蒋介石に勝利し、台湾に追放しました。これが中国統一として『中華人民共和国』が誕生し、毛沢東は『建国の父』と呼ばれるようになりました。

中国の一党独裁は毛沢東時代から始まっており、国民全員の人権や自由は全て奪われてしまい、密告システムにより政府を批判したものは処刑されていきました。民間企業も消滅させられ、競争力のない安定した国有企業を立ち上げ、経済低迷に追い込まれました。その当時は、アジア一の貧困国家になってしまいました。

鄧小平 (とうしょうへい)

出典 https://cul.qq.com/a/20141119/021093.htm?t=1506397102424

毛沢東の死後、事実上の最高指導者に就任した鄧小平は、毛沢東時代の貧困国家を脱却すべく『改革開放』を行い、中国に経済発展をもたらせました。

中国に経済特区を4つ作り、荒廃した中国に経済成長をもたらしましたが、その他地域の格差問題には目を向けませんでした。しかし中国の一時代を築き上げ、世界2位のGDPを誇る経済大国に押し上げたのは鄧小平のお陰といっても過言ではありません!

また毛沢東時代の一党独裁制度も継承されており、言論の自由は少し緩和されたものの、悪しき風習はいまだに残っています。

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