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【パリ】観光の定番フランスのここに行かなきゃ語れないスポット8選!

『パリ』と聞いて、何を思い浮かべますか?エッフェル塔、凱旋門、フランス料理、ワイン、高級ブランド街。なんか無限に出てきそうな…実はそうもそのはず!世界観光機関のまとめでは、世界中の人が観光で最も行くのが『フランス』です。その数なんと年間8000万人越え!

日本でも最近やたらに中国人や欧米系の観光客が多くて、日本人より多いんちゃうか!と思うこともありますけど、それは気のせいです。実は日本を訪れる観光客は3000万人弱、世界で16位となんともパッとしない結果に…。

でも日本人はヨーロッパにすごい憧れを持っていますよね。そこで今日は、パリの『なにが観光客に有名?』定番の観光地を行ってきましたので紹介していこうと思います!実は知っているようで、知らなかった新しい歴史など!

パリってどんな街?

パリの概要

パリはフランスの首都であり、政治や経済を中心とした世界の中心の国でもあります。『華の都パリ』という愛称があることから、歴史から芸術、ファッションまでも網羅した一大芸術都市として愛されています。また『世界都市ランキング』では、ロンドン、ニューヨーク、東京に次ぐ4位となり500社を超える大企業の本社も存在し、西洋最大の商業都市です。

冒頭でも紹介したように、世界の観光客数は8000万人超!パリのシンボルでもある、エッフェル塔や凱旋門、街中には有名ブランドの本店がずらりと立ち並ぶシャンゼリゼ通り、世界の美食として有名なフランス料理など。パリに移住する外国人も多いなど、パリの魅力に感動し憧れた都市です。

パリは20もの行政区が時計回りに振り分けられており、ルーブル美術館のある一区を起点としています。『エスカルゴ』のように渦を巻いていることから、愛称として呼ばれます。なんか面白いですよね!観光客からしても何区の観光名所から回って行こ〜!と1つの目印として活用することができます。

パリの歴史

パリの歴史は、紀元前3世紀にまで遡ります。パリの中心を流れるセーヌ川の周辺には小さな集落のルテティアが存在していたことが分かっています。紀元前1世紀にはガリア戦争が勃発し、対峙したローマ帝国にルテティアが支配されてしまいました。ここではローマ帝国特有の、円形闘技場(コロッセオ的な)や公衆浴場(テルマエロマエ的な)が建設され、都市開発が行われました。その後、ローマ帝国が衰退した際に、街の半分を放棄して、川の中心にあった小さな島シテを要塞化して『パリ』と名付けました。

978年には、パリの伯爵カペーがフランス国王に任命され、パリを首都としました。王の権力の増大から、首都パリは発展していき、王宮のシテ宮やシテ島ごと囲む要塞も築かれました。11世紀ごろからは、ノートルダム大聖堂に付属した学校も建設され、左岸は『大学の街』右岸は『商人の町』として栄え、街の原型を作りました。

1400年からは波乱の時代を迎えます。王の暗殺による市民戦争の勃発。イングランド侵攻によるパリ包囲戦。この時有名なジャンヌダルクが活躍するが敗北。1700年の市民一揆によるフランス革命のナポレオン。マリーアントワネットのわがまま事件。英国連合とオーストリアやロシア等の7年戦争。二度の世界大戦など、時代ごとに戦火の嵐に巻き込まれているフランス。

2015年には、『パリ同時多発テロ』が起こり、戦後なおビッグシティだからこその世界の標的にされ続けてきました。

パリの厳選観光スポット!

エッフェル塔 (7区)

フランスと言ったら大定番の『エッフェル塔』です。実は塔の設計者であるギュスターヴ・エッフェルの名前をとってつけられた電波塔です。高さはなんと300m!電波を遠くまで飛ばすために必然的に高さが要求されました。

1647年から200年に渡り、世界で一番高い建物はフランスのストラブール大聖堂(142m)でしたが、国の威信をかけて建物の高さ競争が繰り広げられました。1874年にはドイツが聖ニコライ教会が147m、1876年にフランスルーアン大聖堂151m、1880年にまたドイツのケルン大聖堂157mと巻き返しました。

ドイツとフランスの高いもの競い競争に終止符を打つために建設されたのが、1887年に完成したエッフェル塔です。もはやドイツの二倍もの高さを持つ300mにはお手上げ状態!フランス圧勝!

しかし当時のエッフェル塔は、パリの街並みの景観を壊すほど奇抜なものであり、市民から賛否の声が挙げられましたが、二度のパリ万博のおかげでエッフェル塔を求め世界から観光客が押し寄せ、経済も潤い始めました。だからと言って、批判の声は今もなお消えたわけではありません…。

エトワール凱旋門 (8区)

凱旋門は、その名の通り軍が勝利をし軍隊の帰還を祝うために作られた門です。フランスの凱旋門といえばこれが有名ですが、実は『エトワール凱旋門』という名前があります。1806年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念として、ナポレオンが建設を指示しました。1836年に完成し、ナポレオンの改葬や第一次世界大戦勝利の凱旋パレードなど国家の歴史的行事を執り行う場所となりました。

エトワール凱旋門は、パリのメインストリートであるシャンゼリゼ通りを登っていくと、シャルルドゴール広場にそびえ立っています。柱の表と裏には4つの違う彫刻がされており、『1792年の出発』『1810年の勝利』『1814年の抵抗』『1815年の平和』を表す彫刻があります。

ルーブル美術館 (1区)

三角のガラス張りが特徴的なルーブル美術館。フランスの国立美術館であり、世界最大級の美術館です。先史時代から19世紀までの美術品が3万点近くあり、所蔵品は38万点にも及ぶ。毎年800万人以上の観光客が訪れる観光スポットであり、セーヌ川が側を流れているこの場所は世界遺産にも包括的に登録されています。

何時間あっても全部を見きれないほどの展示品の数々。その中でも絶対見ておきたいのは『モナ・リザ』『ミロのヴィーナス』『ナポレオン3世の居室』です!(根拠はありませんが、中学レベルの美術の教科書で見たことあるからです)。エントランスには日本語のガイドブックもあるので安心して見て回ることができます。

オルセー美術館 (7区)

オルセー美術館は、1900年に建設された鉄道の駅の中に作られた美術館です。外の大きな時計は、駅舎として活用されていたときのものであり、ホームを改築した展示ホールも、どこか駅の名残を残しています。

19世紀の美術を専門として展示しており、印象派やポスト印象派など19世紀末に流行ったコレクションが世界的に有名です。特に『ゴッホの肖像画』『ゴーギャンのタヒチの女』など、ルソー、セザンヌ、ルノワールなど世界的画家の作品が数多く展示してあり、ルーブル美術館に匹敵するほどの豪華さを誇っています。

ノートルダム大聖堂 (4区)

ノートルダム大聖堂は、『パリのセーヌ河岸』という名称で世界遺産にも登録されたローマ・カトリック教会の大聖堂です。ゴシック建築様式としては最大級の大聖堂であり、『ノートルダム』とは聖母マリアのことを指しています。

1225年に、ローマ崩壊後にキリスト教徒によって建てられました。全長127mと双塔が特徴的であり、全体的に白い建造物だったため『白い貴婦人』の愛称で親しまれています。

内部には豪華な装飾があり、中世貴族の絢爛な生活を物語っているようです。天井にはバラ型のステンドグラスがあり、巨大なパイプオルガンも必見です。しかし、2019年に大規模火災が発生し今は修繕工事が行われています。

サクレ・クール寺院 (18区)

パリ市内ギリギリの18区のモンマルトルの丘にある寺院です。ロマネスク様式とビザンティン様式が融合した建築方法であり、どこかインドのタージマハルに似ている雰囲気もありますね!

教会にはサヴォアという、重さ18トンもの世界最大級の鐘があります。政府からの支援を受け、フランスの新たな門出を祝うための寺院として建設がスタートしましたが、礼拝ができるようになったのは第一次世界大戦後になってしまいました。

小高い丘に建設されたため、パリ市内が一望できる観光名所になりました。

ガニエル宮 (9区)

一般的にはオペラ座の愛称で呼ばれるガルニエ宮。フランス王立のオペラは1669年まで遡る歴史を持っています。1874年にはガルニエ宮が完成し、設計者の名前から名付けられました。2167席の観客収容規模は最大であり、第二次世界大戦中ドイツに占領されている時も営業を続けました。

外装や内装はネオ・バロック様式の彫刻が多く豪華絢爛な装飾が特徴的です。1964年にはシャガールによる天井画も公開されました。しかし1989年からは、オペラ・バスティーユが完成したため、ガルニエ宮は管弦楽のコンサートや小規模オペラの舞台として利用されています。

ヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユ宮殿は、フランス全盛期を作った太陽の王ルイ14世が建造した贅の限りを尽くした宮殿であり、フランスの絶対王政の象徴的な建造物です。全てのフランスの貴族をベルサイユに住ませ、絶対王政の実現のために、ルールやマナーを躾けました。

ルイ14世は3つのヴェルサイユに込めたいとがあると言われています。『水なき地に水を引く』『貴族を従わせる』『民衆の心を掴む』です。今でも庭園内は一般開放され、美しい庭園と宮殿のコラボは1979年に世界遺産にも登録されました。

昔『ベルサイユのばら』という少女まんがを読んだことある方ならご存知かと思いますが、マリーアントワネットやその他の貴族とキラキラ、時にはドロドロした生活がここで送られていました。

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